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神流絹遺産『甘楽社万場組』
更新日:2016/05/18
【神流絹遺産~『甘楽社事跡』を読む~】
昨年に「蔵ミュージアム」として改装オープンしたまるはちの蔵ですが、もともとは民間の養蚕製糸業者である「甘楽社万場組」の生糸の保管倉庫として明治時代に作られた建物でした。
しかし「甘楽社」と聞いても、いつ何をしていた団体なのかピンと来る人は”甘楽”という地名の残る群馬西部でも少ないと思います。
まるはちとしても蔵に来場した方にどうやって説明しようか。。と思っていたところ、蔵から出てきた「甘楽社事跡」という冊子に当時の状況がよく書かれているではありませんか!
この冊子には甘楽社の設立の背景や、当時の日本の養蚕製糸の状況などが非常によくまとまっています。
そこでこれから数回に分けて甘楽社事跡を読み解きながら、
甘楽社の歴史や万場組の関わりなどを解説していきたいと思います!
※甘楽社事跡の発行から50年以上経過しており、著作権は切れています
…と前置きは長くなりましたが、今日は第一回目としてそのの内容触れる前に「甘楽社事跡」読むにあたっていくつかの基本知識をご紹介します。
【甘楽社とは?】
群馬で養蚕、製糸と聞いて思い浮かぶのは「富岡製糸場」ですよね。富岡製糸場が官営の工場であるのに対し、「甘楽社」は民間業者による会社です。
富岡製糸場の開業のおよそ8年後、明治13年に北甘楽精糸会社として現在の富岡に設立されました。
では甘楽社は民間の製糸工場だったのか?といえばそうではなく、甘楽社事跡によれば、甘楽社は商社のような役割を持った会社でした。
「甘楽社万場組」という呼称があることからも分かるように、
甘楽社の下に「町村単位で存在していた製糸揚返所が加盟する」
という組織の形態をとり、甘楽社自体は品質管理や流通や販売の利便の向上を主な目的としていました。
今でいうと農協と農家との関係に近いかもしれませんね。
ちなみに甘楽社の他に群馬西部には「碓井社」、「下仁田社」という会社も存在しており、当時の養蚕製糸業がいかに盛況であったかがわかります。
【甘楽社事跡とは?】
甘楽社の設立三十周年を記念して明治43年に発行された冊子です。
甘楽社の設立背景や設立30年に至るまでの歴史、当時の甘楽社の生糸生産額などがまとめられています。
長くなりましたが今回はここまで!
次回からは「甘楽社事跡」の内容に触れたいと思います。